私の「笠井亮」論

侵略戦争に反対する日本の代表として国内外で活躍する笠井あきらさん

市田忠義(日本共産党・書記局長)
2004年5月12日
参院選に向けた愛知県岡崎市での演説会で

比例代表候補の笠井あきらさんは、日本共産党の野党外交を支える外交問題の専門家です。

昨年8月、マレーシアで東アジア会議という東アジアの政府や政党の集まる会議が行われました。その会議では東アジアにおけるアメリカの支配を打破して、東アジアのための東アジアによる東アジアの共同体を作ろうという問題が提起されました。この会議に招待されて、日本から参加した政党は、日本共産党だけでした。その代表として参加されたのが笠井あきらさんでした。

そこでの日本共産党とはどういう党かという笠井さんのお話が、大評判になった―アメリカべったりの小泉日本という世界しかわからなかった人達が、もうひとつの別の日本が有る―侵略戦争を心から反省し、アジアの国々と対等平等のお付き合いをしよう、そして草の根で国民と結びついて頑張っている党が有る、もうひとつの日本が有るということで、おおいに信頼を集めた。笠井さんの話が終わると、「ところで民主連合政府はいつできるのか」―こう催促した外国の代表がいたそうで、せっかく催促されたのですから、その期待に応えて、1日も早くそう言う政治つくろうじゃありませんか。

第1委員会室の男、労働者や中小企業の利益を守る
また、「笠井さんの推薦で日本共産党に入れてもらえないか」―マレーシアには共産党が存在しません。そう言う国の人々がまじめな顔でそういうことを言われる。これには、日本のアジアへの侵略に命がけで反対した日本共産党の戦前からの歴史ももちろん、ありますが、笠井さんが参議院議員として6年間,日本の国民のくらしと平和を守るために活躍してこられた,その活躍が土台に有ったからじゃないでしょうか。

笠井さんは、国会で重要な問題を審議する第1委員会室というのが有りますが、その第1委員会の常連で国会の中では第1委員会室の男というのが彼のあだ名です。その第1委員会室で、リストラで隔離部屋に閉じ込められた労働者の問題や中小企業への貸し渋りの一方で大銀行に税金を湯水のように投入する―なにごとか」、そういう鋭い追及とともに、安保や自衛隊問題の追及の第一人者でも有りました。だからこそ、日本国内だけじゃなくて、国際的にも大きな信頼を得ているのではないか。しかし、マレーシアやタイの人には日本の選挙権はありません。みなさんの大きなご支援で、3年前のあの悔しい思い繰り返すことがない様に、なんとしても比例代表候補の一人として、笠井さんを国会に押し上げてください。

(5月12日、愛知県岡崎市で)

内政にも外交にも強い、国会に不可欠の論客

穀田恵二 衆議院議員・党国対委員長
2004年に参院選に向けた演説会で

彼はやさしい人です。話を聞いていてもそれが伝わってくるでしょ。他党の議員からも非常に心やさしい人だといわれます。彼の質問には国民の声が宿っています。また、これは余談ですが、彼は共産党きってのダンディな男といわれているんですよ。

国会では、よく前日の夜に急きょ、翌日審議するということが決まる場合があります。そんなとき誰だって、「おい、ちよっと勘弁してよ」と、ひるむものです。私ら国会対策委員にとっては、「頼む」と言ったときに即、「わかった」と言ってくれる人がいないと困りますよね。彼はそういうとき絶対ひるまない人なんです。反動勢力に決してひるまず、また党の要請や私たちの頼みも絶対断らない人、ここが第一に、心やさしいだけではなくて、彼が必要とされる理由なんです。だから早く国会に帰ってきてほしい。

二つ目に、いま日本共産党が果たしている重要な役割に野党外交があります。世界をどう動かしていくかで、いま日本共産党はイスラム社会にも接近し、いよいよ南米の国々にも足を伸ばそうとするなど、積極的な野党外交を進めていますが、彼はその野党外交のエースなんです。

多くの国々の党がなぜ、いま日本共産党とのつきあいを始めているのか。彼等は日本共産党のどこを見ているのか。それは、日本共産党が、第二次世界大戦で侵略戦争反対の旗を掲げたこと、かつてのソ連覇権主義にも唯一反対した共産党であったこと、また北朝鮮の問題やかつての中国の文化大革命に対しても、堂々と批判した党であること、そういう自主独立の党だということです。

彼は若かりし頃、日本民主青年同盟の代表として、当時「ソ連の外交政策を支持しろ」というのが大勢だった世界民主青年連盟にあって、「それは間違っている」といってたたかい抜いた人です。そうした自主独立の立場を守りぬき体現し抜いた人だからこそ、彼は世界に通用する人なんです。その活躍を、参議院議員としてさらに磨きをかけさせてもらいたいと、心から願う次第です。よろしくお願いします。

また先ほど国会の話で、お願いしたらすぐ引き受けてくれるという話をしましたが、もう一つ大事な点があります。例えば、くらしの問題は得意だが、安保はどうもというように、日本の内政と外交のどちらでも質問できるという人はなかなかいません。彼はそのどちらもできる、数少ないかけがえのない論客なんです。その点でもぜひよろしくお願いします。

私の自慢の弟(?)のこと

大阪証券労働組合委員長・築山美朝

私が、笠井さんと初めて会ったのは、4~5年前に大阪証券労働組合と証券後援会が共催したシンポジウムにお越しいただいた時だと記憶しています。最初の印象は、人懐っこくて話しやすい人、あったかくて人間味あふれた人、おしゃれで少しやんちゃで、弟にしたいような人(ごめんなさい)といったところでした。

笠井さんのホームページに「本当に国会議員なの?」という話が載せられていますが、いい意味で私もそう思います。

国会で質問をするときのかっこいいこと。半身に構えて目をまん丸にして、鋭く歯切れよく大臣や政府委員と論戦を行い、もう片方で自民党席のヤジを一喝する姿に、私たちは、そりゃあもう拍手喝采です。笠井さんがもう少し若かったら義理の息子にしてしまうのに。

職場で笠井さんのホームページを見ていたら、先輩が「21世紀の国会議員はこういう人がエエなあ」と言っていました。

知らず知らずの内に、その魅力あふれる人間性に引き込まれ、60歳前のおっさんである私に、一緒に頑張りたいなと思わせる、笠井さんは、そんな人です。

大先輩からも深い信頼

非核の政府を求める会事務局長・水谷辰也

「非核の会」の会合でのワン・シーン。笠井さんが、さきごろ参議院議員を勇退された立木洋さんに代わって常任世話人になられたとき、「若輩者ですが、よろしく」と挨拶されたところ、「その若輩がいいんだよ」と、渡辺洋三さん(東京大学名誉教授)が一言。笠井さんももうすぐ50歳。けっして若輩ではなさそうだが、渡辺先生は80歳。笠井さんは、常任世話人の中で最年少である。事務局に、常任世話人会にと、出席するたびに学者の先生方とも活発に議論を重ねている。「いつも彼の話を楽しみにしているんだ」とは、塩田庄兵衛先生(東京都立大学・立命館大学名誉教授)の言。

「実直」、「誠実」、「温和」は彼の人柄を表すためにあるような言葉だが、ひとたび不正を許さぬ国会追及では、政府と激しくわたりあう頼もしい人間でもある。

そんな彼も酒をこよなく愛する一人。たまに杯を交わすとき、一見弱そうに見えながら、勝つのはいつも決まって彼。青年運動時代から20余年のつきあいだが、原則と柔軟の統一とはいかなるものか、見本のような姿勢・人間性に惚れている。

本当に国会議員なの?

妻・笠井貴美代

小中学生の姪たちが訪ねてきては、「あきらさんは本当に国会議員なの」と聞く。流行の最先端に通じる若者らしく、きまって、CDの棚をのぞきこみ、そして、あきれている。misia、小柳ゆき、イマージュなど、当節のはやりの最新CDはたいがいある。

キューバ音楽の一大ブームをまきおこした「ヴエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」などは私が映画に感激して、買おうとすると、「それならずっと前からあるよ」と、さっと2枚のCDを出してくる。

質問づくりの徹夜仕事でも、つねに軽い音楽が流れている。いまはその時間もなくなったが、通勤途中はイヤホンをし「ラヂオの時間」で今週のベストテンチェックだ。私は、「ただのミーハーオジサンだよ」と答え、姪たちも納得した様子。

その姪が学校の文化祭で「オジサンが国会議員で、やりがいは、悪をこらしめ、正義をつらぬくこと」と発表して、私たちを驚かせた。

人畜無害

妻・笠井貴美代

「人畜無害」――結婚式のとき、大学時代の活動家仲間が夫のことを評した言葉に、新婦であることも忘れて大口で笑いころげてしまった。

言いえて妙。懸命にやっているが、とくにめだちもせず、ましてやケンカなどおよそ似合わない人間、と私も思っていた。

それが、意外だった。ハンガリー・ブダペストにある世界民主青年連盟の本部に日本の青年代表として赴任していた頃のこと。ソ連の大国主義による包囲網のなかでの熾烈な対決の日々に、ケンカっぱやい私もまきこまれ、あの手この手、からめ手でこらしめる法を考えついてはとんちんかんなアドバイスをした。が、ちっとも役だたなかった。

多勢に無勢のなかで、どう論立てて道理で勝つか。根気よく自主独立の党の立場をわがものにし、正面から論陣をいどんで、相手を圧倒していく様子をはたで見ていて納得した。ケンカは結局、論戦だ。正論が勝つ。ひょっとしてそのときの体験がいまの国会でも役立っているのかもしれない。

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