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【10.09.10】広島、ソウル、ロンドンと憲法9条

戦後65年の猛暑のなか思いを馳せました

 戦後65年の8月。広島、ソウル、ロンドンの地に立ち、非核・平和へと大きく変化する世界のなかで、いよいよ輝きを増す日本国憲法9条に思いを馳せた夏でした。

 「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」――8月6日朝、広島・平和公園の慰霊碑前に立ちました。被爆二世として、母の原爆体験を受け継ぐ私にとって恒例ながら、格別の感慨をもって手を合わせた今年でした。
 原爆投下から65年、5月に私も参加したNPT再検討会議の成果を受けて、「核兵器のない世界」をめざす新たなうねりが広がり、核兵器廃絶条約の交渉が、国際政治の現実的課題となりつつあります。国連事務総長として初めて広島の式典に出席した潘基文事務総長も、被爆者が生きているうちに核兵器廃絶を達成しようとよびかけました。
 ところが、その広島で、「核抑止力は必要」といったのが菅首相。「世界が核兵器をなくそうというときに許せない」と、被爆者をはじめ内外の怒りの声が集中したのは当然です。
 侵略戦争によるおびただしい犠牲とともに、広島・長崎の惨禍の上につくられ、日本が二度と戦争をする国にならないと誓った国際公約であり、非核・平和の新しい世界をめざす先駆けになる決意が込められた憲法9条。いまこそ、それを生かした政治に変えるときです。

 「過去の不幸な歴史を、世界の歴史の流れのなかで見つめなおし、ともに21世紀の日韓の友好発展と北東アジアの平和を築こう」――韓国が日本による植民地支配から解放された「光復節」にあたる8月15日の翌日、ソウル入りして聞いた言葉でした。この訪問は、植民地支配下で日本に持ち出された文化財である「朝鮮王朝儀軌」の返還問題について、意見交換したいという韓国の運動団体からの招待によるものでした。
 韓国政界や各界との懇談で私は、「『韓国併合』100年の今年、儀軌などを韓国側に引き渡す方針が首相談話で表明されました。『文化財は原産国へ』というユネスコ条約の精神にのっとり、儀軌を出発点として文化財が韓国に返還されることを願っています」とのべました。
 100年前、日本が韓国に対して軍事的強圧によって押しつけた不法・不当な「韓国併合条約」のもとで、韓国という「国」を抹殺し、文化や言語、姓名すら奪い去る野蛮な植民地支配を強行しました。日本国民は、このことを忘れてはなりません。そして、この事実を日韓両国の共通の歴史認識とすることは、今日の重要課題です。ソウルの地に立って、侵略戦争と植民地支配を美化する逆流を許さず、北東アジアに平和的環境をつくりあげるために、憲法9条をもつ日本が、平和外交の先頭に立たなければならないと意を強くしました。

 「ドラッグ(薬物)と核兵器の持ち込みお断り」――財政再建と付加価値税問題の調査のため訪れたロンドンのハイドパーク近くを通りがかったとき、行列ができて賑わう「ハードロックカフェ」入口に、こんな赤いネオンの表示がありました。
 8月後半、日本とはうって変わって最高気温20度と快適だったイギリスでも、非核・平和の息吹を感じました。「核兵器のない世界」をめざす動きとともに、イラク戦争への反省や、「ミサイルのような兵器はテロリスト対策に役立たない」という声があがり、軍事費も「聖域」にせず削減するとりくみが始まっていました。
 世界はいま、紛争は話し合いで解決する平和の共同体づくりが主流です。日本に必要なのは、ソマリア沖「海賊対処」派兵延長や新たな給油支援でも、海外派兵恒久法や武器輸出でもなく、改憲のための憲法審査会の始動でもありません。憲法9条にもとづく平和を築く外交力こそ必要です。この立場で、激動の秋の政局、私もみなさんと全力をつくします。■

    (平和を実現するキリスト者ネット ニュースレター9月号に寄稿)

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